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札幌地方裁判所 昭和31年(ワ)726号 判決 1963年5月24日

原告 佐伯繁 外一名

被告 国 外一名

訴訟代理人 高橋欣一 外三名

主文

被告国は原告両名に対し各金四五〇、〇〇〇円及びこれに対する昭和三二年一一月二二日より完済に至るまでの年五分の割合による金員を支払え。

原告らのその余の請求を棄却する。

原告らと被告国との間に生じた訴訟費用はこれを二分し、その一を被告国の、その余を原告らの負担とし、原告らと被告アメリカン・インターナショナル・アンダーライターズ・ジャパン・インコーポレーテッドとの間に生じた訴訟費用は原告らの負担とする。

この判決中一項は原告両名が各自金一〇〇、〇〇〇円の担保を供するときはそれぞれ仮に執行することができる。

事  実 <省略>

理由

一、先ず本件事故並びにそれについての訴外チルドレス及び被害者佐伯博の過失の有無を検討する。

(一)  訴外チルドレスが安全保障条約に基き北海道千歳米空軍第一基地に駐留する米空軍の構成員たる米空軍曹長であること、同訴外人は昭和三一年一〇月二六日午後四時四〇分頃、千歳郡恵庭町字茂漁漁川橋西北約三〇〇メートルの所の恵庭ブロック会社附近の幅員約五間のいわゆる弾丸道路上において、同人所有の自家用乗用車を運転し、車から見て道路の左端を車に対面方向に歩行していた学校帰りの小学校三年生佐伯博(当時九歳)に車体を接触させ、同児が死亡したこと、及び右事故は同訴外人が同日下士官クラブの改造工事の視察に行つた帰途であつて同訴外人の公務の遂行中に起きたものであること、の各事実は当事者間に争がない。

(二)  成立に争のない甲第一ないし第二八号証、その方式及び趣旨から外国の官庁が作成したものと認められるので真正なる公文書と推認しうる乙第一号証の一ないし六、本件事故直後の事故現場の写真であることについて争のない検甲第一ないし第五号証証人鈴木政則、同岩佐丈夫の各証言、原告佐伯繁の本人尋問の結果、検証の結果並びに前項の当事者間に争のない事実(ただし甲第八号証、乙第一号証の三及び五中後記措信しない部分を除く)を総合すると

1  本件事故の発生した現場は札幌・千歳両市間を結ぶ一級国道三六号線道路上であつて、同道路の中央主要部分はアスファルトで舗装されていてその舗装部分の幅員は八メートル、舗装部分の中央には白色のセンターラインが引かれていて通行車輌は同ラインを境にいずれも対面通行をするようになつており、更に舗装部分の両脇には幅一メートルの各非舗装の砂利歩道が存し、その更に両脇は約一・八メートルを隔てて下水溝に連なつていること、右道路は本件事故現場附近では札幌方面より事故現場に至る間は約一キロメートル以上にわたつて直線で平坦な道路であるが、事故現場より千歳方面に向つては約一〇〇メートルで道路はわずかに左方(東方)(以下単に左、右と示めす場合は訴外チルドレスの車輪の進行方向即ち千歳方向に向つての左又は右を指す)に折れ、更に約二〇〇メートルで漁川橋に至り同橋を経て恵庭町市街地に入つていること、

しかして当時も札幌方面より事故現場迄は道路脇に建物が散在している程度であつて道路自体の見通しを妨たげるものはなかつたが、右事故現場を経て恵庭町市街に至る間は道路の屈折のため見通しが悪く、又道路脇の建物も漸次密となつて漁川橋を経てからは建物の密集した恵庭町市街地になつている本件事故現場附近並びに恵庭町市街地内での自動車など車輌の最高速度は北海道公安委員会によつて時速三〇キロメートルに制限されており又右委員会設置の速度制限標識は本件事故現場から約六〇〇メートル札幌方面寄りにあつたこと、又右国道は各種自動車が瀕繁に通過する道路であつて本件事故現場附近は当時でも一日の平均は一分間に二ないし三台の割合であつたこと、なお訴外チルドレスは本件事故現場附近を以前から数回にわたつて随行していたこと、

2  訴外チルドレスは昭和三一年一〇月二六日午後四時四〇分頃本件事故現場附近を札幌方面より千歳方面に向つて、自己所有のビユック特別二扉セダン一九五五年度型自家用乗用車を運転して通過せんとしたこと、その際の運転速度は本件事故現場附近では時速約五〇キロメートルであつたこと、

なお当時の天候は曇天であつたが降雨はなく又別に視界を妨げるような天候、気象条件はなかつたこと、

3  折から昭和二二年九月二四日生れ、当時九歳、恵庭小学校三年生であつた訴外佐伯博は、当日午後の授業を終えてから学校で遊び午後四時過ぎ友人の訴外中川一豊(当時一一歳)とともに帰宅すべく本件国道を千歳方面より札幌方面に向つて歩いていたこと、同人らは当時いずれも同国道の左側の砂利歩道を通行しており、訴外中川が先に被害者佐伯博がやや遅れて後方から歩いていたこと、

4  訴外チルドレスは恵庭ブロック会社前附近で右被害者博らの姿を認め警笛を吹鳴したこと、そして右博が道路の砂利歩道部分より舗装部分に出たのを見るや急拠ブレーキをかけたものの間に合わず又他に同児を回避する措置をとるひまもなく右ブロック会社前で同児を車体の右前照灯部分にひつかけて跳ね飛ばしたこと、

同児に車体の接触した道路上の個所は舗装部分であつて、しかも舗装部分の左端より約二・二メートル中央寄りであつたこと、そして同車輌がブレーキをかけてから同児に接触するまでの距離は一〇・一〇米でありその後更に一六・七九メートルスリップしてようやく停止し、同児は同所から更に一〇・三五メートル先まで転倒しながら押し飛ばされて舗装部分脇に倒れたこと、

5  同児は右車輌との接触による衝撃と転倒による打撲の結果頭蓋底骨折の傷害をうけ、その後間もなく附近の者によつて千歳市所在の北海道立千歳病院に収容されたが右傷害のため翌一〇月二七日午前一時〇五分死亡するに至つたこと、

の各事実を認めることができ甲第八号証、乙第一号証の三及び五の各記載中右認定に反する部分は措信しえず他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

(三)  右各認定事実からすれば

1  本件事故現場附近は自動車などの最高速度は北海道公安、委員会によつて時速三〇キロメートルに制限されているにかかわらず、訴外チルドレスは約五〇キロメートルの速度で運転していたこと、又札幌方面より本件事故現場附近迄の道路の見通しは良好とはいえ、本件事故現場から漁川橋附近にかけては見通しが悪く、更に右道路は恵庭市街地に入るのであるから当然に通行人による道路横断も漸次瀕繁となることが予測されうるものといわなければならず従つて自動車の運転者たるものは単に前方注視を強化するのみならず自動車の速度を右制限速度以下に充分に落し、万一の衝突その他の事故に至るような危険に際しては可及的に事故を未然に回避すべき措置をとりうるよう万全の注意をつくす義務があるものといわなければならず、しかるに訴外チルドレスは右義務を怠りただ慢然と前記急速度で運転を継続した結果、被害者佐伯博に車体を接触させたのであるから同訴外人には右の点過失があつた。

2  つぎに被害者佐伯博は満九歳で小学校三年生であつたから当時既に交通に関する一般的な知識並びにその道徳については一応の理解を有していたものと推認しうるところ、前記のとおり同児が訴外チルドレスの車体に接触したのは道路の舗装部分の左端より内側に二・二〇メートルの個所であつたのであり、かつ同道路は各車輌が対面通行するのであるから千歳方面に向う車輌の通行部分は道路のセンターラインより左側四メートルの範囲となるのであつて、この点から見れば同児は道路の車輌通行部分のほぼ中央にいて同所で訴外チルドレスの車体に接触したこととなる。従つて同児が同所に立ち至つた動機ないし原因についてはこれを認めうべき何らの証拠はないとはいえ、しかし少なくとも同児にも通行人の一人としてかかる危険な個所に立至り又は同所で道路を横断せんとするには自らも自動車通行の有無並びにその接近の度合を充分確認して通行車輌の運行妨害とならざるよう注意すべきは勿論、自らも通行車輌との衝突ないしは接触を可及的に回避すべき注意義務があるのであつて、別段の事由の認められない本件においてはやはり同児がこの注意義務を怠つて慢然と道路の前記個所に立ち至つたものと推認せざるをえずこの点につき右被害者博にも過失があつた。

二、つぎに被害者博の蒙つた損害額の点につき検討する。

(一)  被害者博が死亡当時満九歳であり当時の同年令の男子の平均余命は五八・八九年であつたのであるから同児は満六七・八九年まで存命しえた筈となるとのことは当事者間に争がない。

(二)  そして成立に争のない乙第二号証の一ないし三によれば昭和三一年度の労働省統計では通常産業において常時三〇人以上の常用労働者を雇用する企業での賃金は同年の月間平均二〇、二〇一円であつたことが認められる。

従つて特段の事由の認められない本件においては右博は満二〇年で就職し、一般民間企業の定年である満五五年に至るまで三五年間右認定の通常企業内で稼働しうるであろうと推認することができ、更に博は右企業内で右平均額の賃金を受取り、同賃金のうちの二分の一を自己の生活費に消費したとしても月間少くとも一〇、〇〇〇円以上の利益があり、従つて年間一二〇、〇〇〇円以上の利益を得ることができるであろうと推認することができる。

(三)  そうすれば右博が満二〇年に達する昭和四二年九月二四日から満五五年に達する同七七年九月二四日迄の三五年間を稼働期間として同期間内の得べかりし稼働利益につき民法所定の年五分の割合による中間利息を控除してホフマン式計算方法により本件事故当時の現在価格を算出すると、(ただし計算の簡易化のため同児が満九年に達した昭和三一年九月二四日から本件事故の発生した同年一〇月二六日迄の一ヶ月と二日の期間は削除する。)

P=1ヶ年の収入(12万円)/(1+収入を得るまでの期間(単位年)×法廷利率)により

P20(年令)

P54の総額を算出すると同金額は、一、八三四、四九二円(円以下は切捨て)となつて少なくとも原告の主張する一、八三〇、〇〇〇円以上であることを認めることができ、右博は本件事故によつて右金額の損害を蒙つたこととなる。

三、つぎに本件損害賠償についての支払義務につき検討する。

(一)  前記一、(一)項のとおり訴外チルドレスは本件事故当時は安全保障条約に基き北海道千歳米空軍第一基地に駐留する米空軍の構成員であつて、かつ本件事故が同訴外人の公務の遂行中に起きたものであることは当時者間に争がないのであるから、安全保障条約第三条に基く行政協定に伴う民事特別法第一条国家賠償法第一条により被告国は本件事故によつて発生した損害について被害者博に対して賠償をなすべき義務がある。しかしながら被害者博にも前記一、(三)、2項で認定したとおり過失があつたのであるから民法第七二二条第二項により右過失を斟酌するならば被告国が被害者博に対して賠償すべき損害額は九〇〇、〇〇〇円が相当である。

(二)  しかして被告保険会社との関係においては

被告保険会社は訴外チルドレスとの間に同人所有の前記自家用乗用車につき、自動車損害賠償保障法に基き昭和三一年五月六日保険期間を同日から翌三二年五月六日までとした自動車損害賠償責任保険契約を締結し、更に同三一年五月八日保険期間を同月六日から翌三二年五月六日までとし、人体死傷害賠償の責任限度を被害者一人ごとに三、六〇〇、〇〇〇円とした外国自動車損害賠償保険契約を締結していたことは当事者間に争のないところであるが、しかし右各保険契約はいずれも被保険者たる訴外チルドレスが自動車事故により自ら損害賠償責任を負いこれが支出をなすことを保険事故としてその損害を填補する趣旨のものであつたことは明らかなところ、本件事故は前記のごとくその賠償義務は被告国にあつて訴外チルドレスは直接被害者に賠償責任を負うものではないから、右各保険契約上の保険事故には該当せず、従つて本訴請求中原告らが被害者博から相続したとして自動車損害賠償保険法第一六条により直接に、或は外国自動車損害賠償保険については訴外チルドレスの保険金請求権に代位して各保険金を被告保険会社に請求する部分はいずれもこの点において理由がなく失当といわなければならない。

四、被害者博の被告国に対する損害賠償請求権の原告らによる相続については、原告らは被害者博の両親であつて直系尊属であることは当事者間に争がなく、かつ前掲甲第三号証、原告佐伯繁の本人尋問の結果からも他に先順位並びに同順位の相続人がないことは明らかであり、しかも右債権は分割債権であるから原告らは被害者博の死亡と同時に右損害賠償請求権を平等の割合で各金四五〇、〇〇〇円ずつ相続したものということができる。

五、そうすれば原告らの本訴請求は、被告国に対し各金四五〇、〇〇〇円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日である昭和三二年二月二二日より完済に至るまでの民法所定の利率年五分の割合の遅延損害金の支払を求める限度で理由があるので認容し、その余はいずれも失当であるから棄却することとし、訴訟費用については民事訴訟法第九二条第八九条により原告らと被告国との間に生じた費用はこれを二分し、その一を被告国の、その余を原告らの負担とし、原告らと被告保険会社との間に生じた費用は全部原告らの負担とし、仮執行宣言については同法第一九六条を適用する。よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 石井敬二郎 長西英三 福島重雄)

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